ミシン発明の始まり

イギリスのウイリアム・リーが機械編みを開発したのが始まり。「最も古いミシンの研究」と言われている。その後約80年間もの間、書庫の中で眠っていたがニュートン・ウイルソンによりミシンが再現される。
1589

摺上原の戦い

各国でミシンの発展

1800年頃から、ドイツ・フランス・アメリカ・オーストラリアでもミシンが発明され、工場で使われるようになりました。このころのミシンは手で回して動かすものでした。
1790~1844

大御所時代

シンガー No.1ミシンの誕生

アイザック・メリット・シンガーは現在とほぼ同じ構造のミシンを発明。翌年特許をとり、I. M. シンガー社(のちのシンガー社)をつくった。
1850

太平天国の乱

ペリーの贈り物

日本への伝来は幕末、開国をせまった米国ペリーの二度目の来航の時に13代将軍徳川家定に贈られた献上の中にミシンがありました。ミシンを初めて使った人は家定の御台所である天璋院敬子(篤姫)と言われている。
1854

日米和親条約を締結

美しい小型ミシン

〈タートルバック〉として知られている美しい小型のミシンが、初めて家庭用に設計されました。
1856

島津家養女篤姫が、第13代将軍・徳川家定と結婚

ジョン万次郎

咸臨丸で遣米使節に随行したジョン万次郎がアメリカから、手廻しミシンを持ち帰ったのが民間の始まりとされています。
1860

桜田門外の変

ニューファミリー

改良を重ね、ニューファミリー型ミシンが生産され、1890年頃までには400万台以上が、デザインを変えて世界中で販売されました。
1865

日本で初めてトーマス・ブレーク・グラバーが長崎で蒸気機関車を走らせる

ミシンの輸入

明治時代に入り、日本ではドイツ、イギリス、アメリカなどから多種多様なミシンが徐々に輸入されるようになります。
1868

明治維新。江戸を東京と改称

イギリスの発明:ニュートン・ウイルソン

彼は、トーマス・セントの記録と図面を刻明に調査し原理に基づいたミシンを手作りで再現する。復刻版を1878年パリで開催された万国博覧会に出品しました。
1873

徴兵令施行

ミシンの需要増す

西南戦争勃発に伴う軍服の需要からミシンによる軍服の大量生産が始まった。
1877

西南戦争 東京大学が創設

シンガー日本に上陸

シンガーミシン日本に上陸。神戸、横浜に中央店を開設
1890

第一回帝国議会開設

国産の本縫いミシン

国産の本縫いミシン(パイン)の製造が開始されました。
1924

モボ・モガ流行 (「モダンボーイ」「モダンガール」の略)

昭三式ミシン

麦わら帽子製造用環縫ミシン「昭三式ミシン」が完成。昭三式ミシンは外国製のミシンよりも壊れにくいと評判でした。
1928

ラジオ体操放送開始

国産最初の家庭用標準型ミシン発売

国産最初の家庭用標準型ミシンを発売。下糸機構に垂直半回転式を採用し、作業能率が飛躍的に向上しました。
1929

世界大恐慌が発生 飛行船「ツェッペリン伯号」来日

工業用本縫いミシンの販売

戦争を発端に軍事縫製用の工業用ミシンの需要が増える。ブラザーは工業用ミシンの量産化のために必要な自動歯切盤を自作し、鋳物と機械加工を専門に行う工場をスタート。1936年に工業用本縫ミシンを完成させました。
1936

二・二六事件が発生

洋裁ブームが到来

終戦を迎えると、ミシンの需要が飛躍的に増大する。手作り服でオシャレをするためや収入源のために洋裁学校で洋裁を学ぶのが流行った。
1945

太平洋戦争終結

家庭用HA-1型

戦後、ミシン業界において「ミシン製造会」が発足。国産家庭用ミシンの規格寸法が統一され、「家庭用HA-1型」と呼ばれました。
1948

リーゼントやロングスカートとともにアロハシャツが大流行した

年賀はがきの特等賞品

昭和25年に発行されたはじめてのお年玉付年賀はがきの特等賞品は「ミシン」でした。当時の「ミシン」は、会社員の初任給が3千円~4千円という時に1万8千円という高価な物でした。
1951

五百円札発行

戦後初の大ヒット商品

戦後初の大ヒット商品。高速度運転に耐え、摩擦音や振動も少なくなりましたが、特筆すべきはそのデザイン。工業デザイナー小杉二郎氏による近代的な外観は、「第2回毎日工業デザインコンクール」で特選第一席に選ばれ、各社がミシンのデザインを競う時代の口火を切ることになりました。
1954

アメリカ映画『ローマの休日』が上映され、ヘップバーンカットが大流行した

JISマークの表示が許可

蛇の目製品が業界初の「JIS規格合格品」に指定され、JISマークの表示が許可されました。
1956

白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫など電化製品が登場

国内での足踏みミシン

1960年代までは足踏み式ミシンがミシンの主流でした。
1960

ダッコちゃんブーム

フルオートジグザグミシンの登場

手でレバーやダイヤルを動かすかわりに、カムという部品を利用して模様縫いが可能になりました。ボタンホール、ボタンつけ、くけ縫いなどもできるようになり、「ジグザグブーム」を呼びました。
1961

女子バレーボール「東洋の魔女」大活躍

アメリカ文化

アメリカ文化への憧れなどにより、爆発的にミシンの需給台数が増え、輸出量も大幅に伸びた。
1962

高度成長政策により日本経済の急速な発展が進む

東京オリンピックが開催

東京オリンピック開催を記念して発売。業界初の自社生産による軽合金ダイカスト製。操作法もダイヤル方式となり、画期的な完全自動機構を備えた。重量も従来の半分の軽さになり、好評を博しました。
1964

東京オリンピックが開催

世界の"名機"

自動糸切りミシンが開発される。世界の"名機"といわれた高速一本針本縫糸切ミシンDDL-555-2型
1969

カラービデオプレーヤーとカセットが製造される

第1次ミシンブーム到来

当時ミシンは、テレビ、洗濯機、冷蔵庫の次に欲しい物のひとつであり、三面鏡と並び嫁入り道具として持つ人も多く、婚姻件数とミシンの生産台数はほぼ同じであった。
1970

歩行者天国がスタート

電子化により多機能化するミシン

工業製品全般の技術革新が進み、ミシンやタイプライターなどさまざまな製品が電子化される。1976年には初の電子ミシン「コンパルDX」を販売された。
1976

およげ!たいやきくん大ヒット

日本初のコンピュータミシン

これまでダイヤルやレバーで調節してきた針と送り歯の動きを、コンピュータが制御。ミシンは大きな変革期を迎える。針の動きは自由自在となり、模様縫いは一気に広がりを見せました。
1979

インベーダー・ゲームが大流行する

自動糸調子ミシンを開発

面倒な調整がいらない、自動糸調子ミシンを開発する。
1985

ワープロが普及される ファミコンブーム

刺しゅう機付きのコンピューターミシンを発売

コンピューター刺繍機付きミシンを発売。メモリーカードを使うことによって、最大5色を使ったカラフルな刺繍や900種類の模様を再現。基本操作や縫い方を液晶ディスプレイで表示し、おまかせガイドや自動糸切り機能、自動糸調子機能などを搭載。
1991

ポケベルがヒット

刺しゅう機能付き最高級コンピュータミシン

世界で初めて糸通しを自動にした刺繍機能付き最高級コンピュータミシン。大型フルカラー画面を採用し、実用縫いから大型刺繍縫いへのワンタッチ切替えを可能した。
2001

大阪に「USJ」が開園

第2のミシンブーム到来

NHK朝の連続ドラマの反響によりミシンブーム到来。
2011

九州新幹線全線開通

手作りマスク

新型コロナウイルス感染症の拡大による「おうち時間」の充実を図るため、ミシンの需要が加速する。
2020

オンライン飲み会が増える